「恥ずかしくて無理」から「全部楽しかった」へ|初参加の女性の一日

春の露天混浴温泉で、初めて参加した女性が自然に場に溶け込み、穏やかな空気の中で過ごしている様子

最初は、みんな少し怖い。

「恥ずかしくて絶対無理」
そう思っていた方が、
気づいたら「全部楽しかった」と言って帰っていく。

今回ご紹介するのは、
はじめて参加してくれた一人の女性の一日。

その中に、
なぜ安心して過ごせるのかのヒントが、
たくさん詰まっていました。


■はじめてなのに、ずっと前から一緒にいたみたいだった

その女性は、とても自然体だった。

初対面のはずなのに、
どこかずっと前から一緒にいたような、
そんな空気が最初から流れていて。

無理に話そうとするわけでもなく、
かといって遠慮しすぎることもなく、
ただ、その場にすっと馴染んでいる。

その“違和感のなさ”が、
とても印象的でした。


■最初は、ただ湯に浸かって話すところから

ゆっくりとしたはじまり

いつもの湯に入りながら、
まずはゆっくり会話をするところから。

その日のことや、これまでのこと、
とりとめのない話をしながら、
少しずつ場に慣れていく。

急ぐことも、無理に何かをすることもなく、
ただ自然に時間が流れていきます。


ごく自然な触れ合い

しばらくすると、
ごく軽い触れ合いも生まれていきました。

それは、誰かが意図して始めるものではなく、
その場の空気の中で、
自然に立ち上がってくるもの。

誰も無理をせず、
誰も急がず、
それぞれのペースのまま。

そんな関わり方ができることが、
この場のひとつの特徴なのかもしれません。


■人が多くても、なぜか静かだった理由

この場の空気や関係性については、
私たちの考え方をまとめたこちらの記事でも少し触れています。
Club Inner Spaとは

この日は、彼女の「少人数で触れ合いを楽しみたい」という希望もあり、
それに応えられるよう、男性メンバーも多めに集まりました。

でも、不思議と騒がしさはなくて。

人数はいるのに、
場の空気は終始穏やかで、
やわらかいまま。

一人ひとりが無理をせず、
それぞれのままでいながら、
自然にその場に関わっている。

笑い声は絶えないのに、
どこか静けさもあるような、
そんな時間でした。


■春の湯のなかで、すべてがちょうどよかった

その日は、天気もよく、
桜も満開で、
湯の温度もちょうどよくて。

ただ湯に浸かっているだけで、
満たされていくような感覚。

これ以上、何を望むことがあるだろう。

そんなふうに思える時間が、
ゆっくりと流れていました。


■湯上がりの時間も、同じくらい大切だった

なぜか全員同じものを頼んだ話(笑)

2時間ほどゆったり過ごしたあと、
いつもの中華屋さんへ。

示し合わせたわけでもないのに、
なぜか全員が「五目揚げ焼きそば」を注文。

「みんなそれなんだね」と笑いながら、
そんな何気ないやり取りも、
どこか心地よく感じられる時間でした。


もうひとつの湯で見えた、彼女の変化

そのあと、混浴宿へ移動。

ここは、私たちだけの空間ではなく、
他のお客さんも出入りする、
ごく普通の混浴のお風呂。

少し休憩を挟みながら、
またゆっくりと湯に浸かっていきます。

気づけば彼女は、
すっかり無防備になっていて、

最初に「恥ずかしくて無理」と言っていた人とは
思えないくらいに、
とても自然に、その場にいる。

むしろ、どこか堂々としていて、
その変化がとても印象的でした。


■誰かが満たされているのを見る、という満たされ方

彼女が、心から楽しそうにしている姿。

そして、それを支えるように、
自然に振る舞っているメンバーたち。

その光景を見ながら、
自分の中に静かに満ちてくるものがありました。

自分がはじめたことが、
誰かを満たしている。

そして、その場にいるみんなが、
それぞれに満たされていく。

それは、とても静かで、
でも確かな喜びでした。


■はじめてでも、大丈夫だった理由

この安心感は、偶然できているものではなく、
ある程度“構造”として意識してつくっているものでもあります。

その考え方については、こちらにまとめています。
安心は、空気ではなく構造で作る― Club Inner Spaの考え方 ―

最初は、誰でも少し怖い。

「恥ずかしい」
「自分にできるだろうか」

そんな気持ちを抱えながら、来てくれる方がほとんどです。

でも、その不安は、
無理に乗り越えるものではなくて、
自然とほどけていくものなんだと思います。

この日も、
最初は少し緊張していた彼女が、
気づけばとても自然に、その場にいて。

誰かが無理をさせたわけでも、
特別なことをしたわけでもないのに、
そうなっていった。

それはきっと、
その場にいる一人ひとりが、
相手のペースを尊重していたから。

安心は、空気でできているようでいて、
本当は、関わる人たちの在り方でつくられている。

そう感じた一日でした。

もし、少しでも気になっている方がいたら、
無理に踏み出さなくても大丈夫です。

ただ、「こんな時間もあるんだ」と、
知ってもらえたら、それで十分です。

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