立ち止まることも、場を守ることの一部だと思う

朝のやわらかな光と霧に包まれた静かな温泉で、ひとりの女性が遠くを見つめている。活動を続けるために一度立ち止まり、自分の内側と向き合う時間を表した、穏やかで内省的な雰囲気の画像。

この1か月ほど、
私は少し立ち止まっていました。

Club Inner Spaの活動について。
これからの続け方について。
そして、主宰している私自身の気持ちについて。

きっかけは、はっきりした出来事というより、
小さな違和感の積み重ねでした。

活動は少しずつ形になってきていました。

安心して過ごせたと言ってくれる方がいたり、
また参加したいと言ってくれる方がいたり、
混浴という少し特別な場で、
人と人が自然にほどけていく時間に立ち会えることは、
私にとって本当に嬉しいことでした。

Club Inner Spaを始めてよかった。

そう思う瞬間は、何度もありました。

けれどその一方で、
私はどこかで少し苦しくなっていました。

最初は、疲れなのかと思いました。
活動の負担なのかもしれないと思いました。
年齢のことや、自分の自信の問題なのかもしれないとも思いました。

でも、何度も考えて、
何度も書き出して、
大切な人たちとも話し合う中で、
少しずつ見えてきたことがあります。

それは、
私はずっと、
その場にいる人が安心して過ごせること、
みんなが無理なく楽しめることに、
意識を向けてきたのだ、
ということでした。

ゲストが安心して過ごせるように。
女性が不安にならないように。
初めての方が置いていかれないように。
その場にいる人たちが、楽しかったと思って帰れるように。

それは、私が本当に大切にしてきたことです。

そして今も、
Club Inner Spaで一番大切にしたいことは変わっていません。

けれど同時に、
その形は、私自身にとっても、
ある意味でとてもよくできた形だったのかもしれません。

ゲストが安心して過ごせる。
仲間たちも満たされた時間を過ごせる。
大切な人が望んでいた境界も守れる。
そして、みんなで同じ時間を楽しめる。

その中で私は、
自分の奥にあった言葉にならない願いや、
見ないようにしてきた気持ちを、
真正面から見ずにいられたのかもしれません。

だからこそ、
その形は機能していたのだと思います。

誰かが悪かったわけではありません。
その時間が間違っていたわけでもありません。

むしろ、
そのときの私たちにとっては、
それが一番自然で、
一番安心できる形だったのだと思います。

でも、
よくできた形だったからこそ、
私はいつの間にか、
「自分自身はどう感じているのか」
「私は本当は何を欲しかったのか」
という問いを、
少しずつ後回しにしていたのだと思います。

場をつくる人間が、
自分の気持ちを置き去りにしたまま、
誰かの安心だけを優先し続けてしまうと、
いつかその場にも無理が出てしまう。

最近は、そんなふうに感じています。

Club Inner Spaは、
ただ混浴に行くための集まりではありません。

裸になることよりも先に、
その人の人柄や空気感が見えてくるような場所。

女性が無理をせず、
自分のペースでいられる場所。

好奇心や緊張や戸惑いも含めて、
その人の本音を置き去りにしない場所。

そういう場でありたいと思ってきました。

だからこそ、
主宰している私自身も、
自分の本音を置き去りにしてはいけないのだと思います。

今、少し立ち止まっているのは、
活動を終わらせるためではありません。

誰かを責めるためでも、
これまでの時間を否定するためでもありません。

むしろ、
この場所をこれからも健やかに続けていくために、
一度、自分の内側をちゃんと見つめ直したいと思っています。

最近、こんなことを思います。

苦しさの正体は、
欲しいものが手に入らないことではなく、
自分が何を欲しかったのか分からないことなのかもしれない。

自分の願いに名前がつくと、
すべてがすぐに解決するわけではありません。

でも、
少なくとも自分をごまかさなくてよくなる。

無理に笑わなくてよくなる。

そして、
誰かに優しくすることと同じくらい、
自分の気持ちにも誠実でいようと思える。

Club Inner Spaを通じて、
私はたくさんの人の本音に触れてきました。

混浴に惹かれる理由。
人と自然に近づきたい気持ち。
年齢を重ねても、どこかで女性として、男性として、柔らかく呼吸したい気持ち。
でも同時に、怖さや不安や戸惑いもあること。

そういう言葉になりにくいものを、
これからも丁寧に扱っていきたいと思っています。

だから今は、
少しだけ立ち止まります。

活動を止めるためではなく、
続け方を見つけるために。

誰かのためだけの場ではなく、
そこにいる人たちが、
そして主宰である私自身も、
無理なく呼吸できる場であるために。

立ち止まることも、
場を守ることの一部なのだと思います。