混浴にいるワニが、必要とされるとき

春の混浴温泉で人々が静かに過ごす風景

ワニ、と呼ばれる人たち

ワニ、と呼ばれる人たちがいる。

ここでいう「ワニ」とは、
混浴で女性やカップルの近くに集まる単独男性のことを指している。

あまりいい意味で使われる言葉ではなくて、
どちらかというと、疎まれることの方が多いと思う。

実際、場の空気を壊してしまう人もいるし、
女性やカップルにとって、居心地の悪さにつながることもある。

でも。

混浴に通う中で、
少しだけ違う側面も見えてきた。

ワニは、必ずしも「いらない存在」ではないのかもしれない、ということ。


ある日の混浴で見た光景

あるカップルがいた。

何度か見かけたことのあるふたりで、
私とパートナーが着いたときには、すでにたくさんのワニに囲まれていた。

その様子を見て、
ああ、こういう状況が好きなカップルなのかな、と思った。

少し離れたところから、様子を眺めていた。

でもしばらくすると、そのカップルは
人の少ない場所へと移動していき、
それに合わせて、ワニたちも自然と散っていった。

休憩の時間なのかな、となんとなく思った。


そのあと、仲間のひとりが到着した。

道すがら出会ったという女性を連れていて、
さらに別の若いカップルが二組加わり、
私たちが入っていたあたたかい湯は、少し窮屈になってきた。

私たちは、少し離れたぬるい湯のほうへ移動した。


仲間は、その場にいたカップルや女性たちと自然に会話をはじめ、
いつの間にか場の中心にいた。

周りには他にもワニはたくさんいたけれど、
実際に言葉を交わし、場を動かしているのは、ほとんど彼ひとりだった。

ああ、こういうことか、と思った。

場をつくれるワニは、実際には多くない。


カップルのほうも、
自分たちから積極的に場を回すというよりは、

誰かが話を振ってくれるのを待っているような、
そんな空気をまとっていた。

カップルであっても、
男性のほうに会話力がないと、こういう場では少し居心地が悪そうに見える。

彼女の前で、うまく振る舞いたい気持ちはある。
でも、それがうまくできない。

そんなときに、
場をつくれる誰かがいると、空気は自然とやわらぐ。


少しして、仲間は、最初にワニに囲まれていたあのカップルのもとへ向かった。

どうやら顔見知りだったようで、
あとから聞いた話では「何時になったら来てください」と
あらかじめ声をかけられていたらしい。


そのカップルはきっと、

見られたい、
触れられたい、
見せたい、
触れさせたい、

そういう欲求を持っている。

でも、誰でもいいわけではない。


最初にたくさんのワニに囲まれていたとき、
あのふたりは、どこか居心地が悪そうにも見えた。

人数の問題ではなくて、
そこに「場をつくれる人」がいなかったからなのかもしれない。


ワニが必要とされる場面

こういう場面を見ていると、

ワニはただの“迷惑な存在”として片付けられるものではなくて、
その場や関係性によって、まったく違う役割を持つことがあるのだと思う。

ワニを必要としている人たちがいる。

見られたい人、
見せたい人、
パートナーとの関係性の中で、
第三者の視線があることで成り立つ時間。

そういう文脈の中では、
ワニは「ただの迷惑な存在」ではなくて、
ある種の役割を持つ存在になる。


ただし、誰でもいいわけではない

ただし。

だからといって、
どんなワニでもいいわけではない。

ワニが必要とされる場面は、確かにある。
でもそれは、“誰でもいい”という意味ではなかった。

本当に求められているのは、
ただそこにいるだけの人ではなくて、

場の空気を読みながら、
相手の求めている距離感を感じ取れる人。

でも、そういう人は、実際には多くない。


ワニではなく、その人の在り方

そうなると、

カップルの男性に、よほどの統率力やコミュニケーション力があるか、
あるいは、場をつくれる誰かがそこにいるか。

どちらかがなければ、
この空間は、ただの居心地の悪い場所になってしまうのかもしれない。


ワニ、という言葉でひとくくりにされるけれど、

見ていると、
そこにははっきりと違いがある。

その違いはたぶん、
行動よりも、その人の在り方に近い。

結局のところ、ワニかどうかではなくて、
その人がどんなふうに場に関わっているか、なのかもしれない。

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