
5月の終わり、私はこの日も群馬に居た。
以前からやり取りをしていた、ある男性との顔合わせがあった。
自称ナチュリスト。
メールはとても丁寧で誠実そうだったけれど、
Xを見る限り、正直少し警戒感もあった。
とはいえ、
メンバーBの知り合いでもあり、
「普通の良い人だよ」という話も聞いていたし、
日程もちょうど合ったので、
まずは一度会ってみよう、という流れになった。
そして実際に会ってみて、
改めて思った。
人って、
会った瞬間に、
なんとなく分かる。
もちろん、
見た目や服装の話ではない。
会釈の仕方。
笑い方。
話す速度。
間の取り方。
相手との距離感。
その人が、
どうやって場に入ってくるか。
特に50歳を過ぎた人って、
そういう部分に、
その人の生き方が滲む気がする。
混浴では、“人柄”が見える
その日行った混浴は、
いつもより小さめの湯だった。
すでに人がいっぱい。
私が湯に向かうと、
パートナーは入れず、外で待っていた。
いっぱいで入れそうになかったので、
私は女性専用露天へ行こうとした。
すると、
中にいた男性たちが、
少し場所を空けてくれた。
ただ、
誰かが湯から上がるわけではない。
空いたスペースはかなり狭く、
私たちは、
重なるように滑り込んだ。
正直、
中には分かりやすい人もいる。
女性の裸体が見やすい位置から動かない人。
見えやすい場所へ、
無理に移動してくる人。
混浴には、
そういう人も普通にいる。
でも、
今回来てくれた男性は違った。
焦る感じがない。
無理に会話へ入ってこない。
こちらが少しスペースを作ったことにも、
自然に気づいて、
静かに輪の中へ入ってきた。
その日は少し暑く、
熱い湯には誰も入りたがらなかった。
でも彼は、
その熱めの湯に、
しばらく静かに浸かっていた。
それもなんだか、
その人らしかった。
裸を特別視しない人
幸い、
まだアブも出ていなかったし、
湯から上がっても心地よい気温だった。
私たちは湯から出て、
地面に座り込んで、
のんびり話していた。
傍から見れば、
ちょっと変な光景だったと思う。
いい大人たちが、
山の中で、
素っ裸のまま地面に座って話している。
でも、
それが不思議なくらい自然だった。
そして印象的だったのは、
彼の視線だった。
裸の私を目で追うわけでもない。
かといって、
不自然に目をそらすわけでもない。
ただ、
自然だった。
会話も同じだった。
自己主張が強すぎるわけでもなく、
かといって、
何を考えている人か分からないわけでもない。
全部が、
ちょうどよかった。
結局いちばん大事なのは、「人」
後日、
彼からこんなメッセージが届いた。
「サークルで大事なのは設定やシチュエーションもあるけど、一番は“人”だなあと思いました」
その言葉が、
とても嬉しくて、記憶に残った。
さらに、
「メンバーAさん、メンバーCさんとお話しして、自分の中で少なからず男性としての心境の変化(ポジティブな意味で)があった」
とも書いてくれていた。
そして、
「リスペクトできる同性に出会える機会って、この年代になるとなかなか無い」
とも。
自分が大切に思っている人たちの良さを、
自然に受け取ってくれたことが、
なんだかとても嬉しかった。
私たちの活動は、
混浴や裸そのものが目的ではない。
もちろん、
そこに解放感はある。
でも本当に大事なのは、
その中で、
人がどう在るかなんだと思う。
裸を特別なものとして扱いすぎないこと。
相手を“対象”として消費するのではなく、
一人の人間として、
自然に同じ空間に居られるか。
たぶん、
大事なのはそういうことなんだと思う。
女性のためだけの安心空間を作ることもできる。
でも私は、コミュニティの形として、
男女が自然に共存できる空気を、
完全には諦めたくなかった。
今回、
こういう出会いがあったことで、
もしかしたら、
同じような感覚を持った男性は、
他にもいるのかもしれない。
そんなことを、
湯の余韻の中で静かに感じていた。

いつも拝見させていただいてます。
日本人として在るべき自然な姿、立ち振る舞いをしてらっしゃって、感銘しています。本来湯に浸かるのはら日常から解放され男女関係なく自然と共に過ごし、話を弾ませる時間だと常々思っています。一部の露出じみた方々や覗き目的の方々で貴重な混浴温泉が次々と消えていると聞いています。さよさん達の活動が汚される事無く静かに続いていけるよう願い、陰ながら応援しています。
jigenさんコメントありがとうございます
影ながらの応援感謝です!
私たちも時々ハメを外してしまうときもありますが、大好きな混浴残したいですね♨️
jigenさん、コメントありがとうございます
共感していただけて、とても嬉しいです。
日常から少し離れて、男女関係なく自然とともに過ごし、言葉を交わせる場所。
私たちも、混浴温泉がそんな場所であってほしいと願っています。
実は今回の記事にも書いたように、私たちが大切にしている空気の土台は、メンバーAが昔から自然に体現してきた部分でもあります。
一部の人の振る舞いによって混浴文化そのものが失われてしまうのではなく、大切な文化として次の世代にも残っていってほしいですね。
そのためにも、混浴温泉を利用する一人ひとりが、少しずつでも「場を守る側」になれたらいいなと思っています。
温かい応援のお言葉、本当にありがとうございました
当事者が書き込んでも良いものか迷っていましたが、お礼も兼ねて投稿します。
その節はお時間いただきありがとうございました。記事でも触れていただいていますが、私にとってさよさんはもちろん、AさんCさんとお話しできたことがとても大きく、良い刺激になった日でした。
「自然体」と評価していただけるのは自称ナチュリスト冥利に尽きますが、自分が自然体で振る舞えたのも皆さんが出してくださる会話のきっかけのトスが絶妙だったからこそ、私も入りやすかったのだと思います。
またどちらかでご一緒できれば幸いです
Mさん、コメントありがとうございます
「こんな人いるんだ!」というのが、実は私たちの率直な印象でした。
会話のきっかけやトスに気づいていただけるのは、きっと私たちもMさんも、同じようなところを見ていたからなのかもしれませんね。
そういう感覚が自然に通じる方って、実はなかなか居ないので、私たちもとても嬉しかったです。
記事ではMさんの自然さばかり書いてしまいましたが、お互いに自然体で居られたからこそ、あの空気が生まれたのだと思います。
また湯でご一緒できる日を楽しみにしています♨️