
閉館間近の深山荘で感じた変化
もうすぐ閉館になる深山荘を、
一年ぶりに訪れた。
以前から湯浴み着必須の湯ではあったけれど、今回は、水着着用必須へと変わっていた。
時代の流れなのかもしれない。
実際、混浴温泉を取り巻く空気は、
ここ数年で大きく変わっているように感じる。
以前は全裸で入れた湯が、
湯浴み着必須になり、
さらに水着着用必須へ。
あるいは、
混浴そのものをやめてしまう場所もある。
運営側にも、
きっと色々な事情があるのだと思う。
それでも、
深山荘の湯に流れていた、
あの独特の空気を味わったことのある身としては、やはり少し寂しかった。
以前訪れたとき、そこには老若男女、
たくさんの人たちが自然に湯を楽しむ姿があった。
湯けむりの中で交わされる、
他愛のない会話。川の音。
裸のまま、もしくは湯あみ着で
ただ湯に包まれている感覚。
あの場所には、
単なる「入浴」以上のものがあったように思う。
だからこそ、今回の変化は、
想像以上に大きく感じられた。
水着を着た瞬間、身体が“お風呂”として認識しなかった
実際に水着を着て湯に入った瞬間、
思わず、
「わっ、いや…」
「変な感じ…」
そんな言葉が口から出た。
自分でも驚くくらい、
強い違和感があった。
締めつけ。
濡れた布の感触。
身体にまとわりつく感じ。
そして、どこか無意識に、
湯と身体の分離感のようなものを感じていた。
不思議だったのは、
同じ温泉なのに、身体がまったく
“お風呂”として認識していないように感じたことだった。
考えてみれば、日本人は普段、
全裸でお風呂に入る。
だから身体は「裸で湯に浸かる」
という感覚を、深いところで“入浴”として覚えているのかもしれない。
逆に、水着を着ると、
身体は無意識に“冷たい水”を想定する。
プールや海のように。
だからなのか、
湯に包まれている感覚が薄く、
身体がずっと緊張していた。
正直、あまり湯を楽しめなかった。
解放感もなく、居心地の悪さが、
湯に入っている間中ずっと続いていた。
楽しい仲間たちと一緒だったから、
なんとか楽しめたけれど、
少なくとも私の身体は、
あれを“温泉”として受け取ることができなかった。
混浴温泉で本当に守るべきものとは何か
もちろん、
運営側を責めたいわけではない。
実際、混浴という場所には、さまざまなトラブルや、女性が不安を感じる場面も存在するのだと思う。
だから、安心安全を守ろうとする変化自体は理解できる。
ただ、その方法が、
「全面的な水着化」しかないのだとしたら、それはとても悲しいことだとも感じている。
なぜなら、混浴温泉の魅力は、
単に「男女一緒に入ること」ではないからだ。
裸で湯に浸かり、
身体の境界が少しゆるみ、
人と人との距離感まで、どこか自然になっていく。
あの独特の解放感。
湯けむりの中で、
年齢も立場も性別も越えて、
ただ同じ湯を囲んでいる感覚。
そういうものまで、
少しずつ失われていってしまう気がする。
本当に守るべきなのは、
水着そのものではなく、
“安心できる空気”なのではないか。
実際、私自身、
安心できる人たちと一緒にいる時には、
混浴に怖さを感じない。
逆に、空気が悪い場所では、
たとえルールが厳しくても、
身体は緊張する。
つまり、安心は、
単純な規制だけで生まれるものではなく、
そこにいる人や場の空気によっても、
大きく変わるのだと思う。
混浴文化を残すために、別の方法はないのか
このまま、混浴温泉が次々と水着必須になっていけば、
いずれ、“混浴文化そのもの”が失われていくのかもしれない。
実際、
以前は多くの人で賑わっていた場所が、
水着必須になった途端、驚くほど静かになっていた。
連休中にも関わらず、人はまばらだった。
もちろん、
それだけが理由ではないのかもしれない。
けれど、同じように
「何かが違う」と感じる人は、
少なくないのだと思う。
だからこそ、私は、
全面的な規制だけではない、
別の方法も模索できないのかと考えている。
たとえば、
女性が安心できる空気を、
場全体で守ること。
マナーや距離感を、
文化として育てていくこと。
小規模で人となりが見える場を増やすこと。
あるいは、
時間帯や曜日によって、選択肢を分けること。
本当に守るべきなのは、
「水着を着せること」ではなく、
安心して身体をゆるめられる空気なのではないか。
裸でいることは、
必ずしも性的なことではない。
ただ自然に、身体の力が抜けていく感覚。
人間として、
少し自由になれる感覚。
混浴温泉には、
そういう価値も、
確かに存在していると思う。
だから私は、この文化が、
ただ“危険なもの”として消えていってしまうのは、
やっぱり寂しい。
安心と解放感を、
どうすれば両立できるのか。
その方法を、
これからも考えていきたいと思っている。
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